日本一の大鬼瓦 - 博物館の前庭にある大鬼瓦は、日本鬼師の会製作による、高さ5m、重量10tの日本一の大鬼瓦である。
日本一の大鬼瓦
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青海波唐破風門 力士 -
青海波唐破風門 力士
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青海波唐破風門 力士 -
青海波唐破風門 力士
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青海波唐破風門 鳳凰 -
青海波唐破風門 鳳凰
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青海波唐破風門 龍 - 軒丸が鬼のアップの意匠になっている
青海波唐破風門 龍
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交流館テラス -
交流館テラス
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交流館テラス -
交流館テラス
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推定 飛鳥時代(593年頃) - 四天王寺出土品
寺院の瓦が日本に初めて入ってきた頃で、軒丸瓦を棟飾瓦の中に納めている
推定 飛鳥時代(593年頃)
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推定 飛鳥時代(593年頃) - 奈良県明日香村の奥久米廃寺跡より出土
軒丸瓦を棟飾瓦の中に納めてい
推定 飛鳥時代(593年頃)
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推定 白鳳時代(665年頃) - 福岡県太宰府市の都府楼より出土
中央の飛鳥の地より遠く離れた九州で出土している日本初の鬼面とされている
推定 白鳳時代(665年頃)
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推定 奈良時代(710年頃) - 平城京にて出土
新羅系の獣面を考えて造ったのか全身像の鬼面、大和の薬師寺・唐招提寺等で多く出土している
推定 奈良時代(710年頃)
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推定 奈良時代 - 兵庫県新宮町の千本廃寺より出土
特異な正方形をしており、どちらかと言えば抽象的表現を用いている、西播州の地方色か?
推定 奈良時代
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推定 奈良時代(730年頃) - 奈良市大安寺より出土
奈良時代はよく使用されていたのか東大寺や法隆寺五重塔などに同じような彫り見られる
推定 奈良時代(730年頃)
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推定 奈良時代 - 京都府山城町 高麗寺廃寺より出土
推定 奈良時代
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推定 奈良時代(810~824年頃) - 奈良市唐招提寺の南大門より出土
南大門の地下より出土したもので、奥の底に朱色が塗られていた。朱を塗り魔よけとして使用した物
推定 奈良時代(810~824年頃)
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推定 平安時代(1007年頃) - 大阪市 四天王寺講堂より出土
この物はずば抜けて深く大きいものである。特異に大きな角(サイ)が特徴である
推定 平安時代(1007年頃)
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推定 鎌倉時代(1195年頃) - 奈良市 東大寺(転害門南棟鬼)現物は国宝
東大寺に残るものでは二番目に古いもので同范かと思われるものが興福寺北円堂や薬師寺本堂等に有り共に鎌倉の作と考えられる
推定 鎌倉時代(1195年頃)
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推定 鎌倉時代(1279年頃) - 奈良市 新薬師寺(鐘楼降り棟鬼)現物は国宝
前記と同様の造りであるが面相の出が多くなり、シビ(線を入れて飾る)が入っている。上部頂点が高くなっているなど鎌倉時代末期の特徴をよく出している
推定 鎌倉時代(1279年頃)
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南北朝時代(1363年) - 奈良県生駒市 長弓寺(本堂大棟鬼)
13000年初め頃から下顎が造られてはいるが、此の鬼になって初めて鬼(ヲニ)と書かれている、一応鬼瓦の初現と考えて良い。
輪郭や納め方に鎌倉の技法が使われている。
南北朝時代(1363年)
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南北朝時代(1378年) - 和歌山県川辺町 道成寺(本堂降り棟鬼)現物は重要文化財
天授二二と銘が入った立派な造りで、此の頃はまだ中空にする事はやっていないのに、早この鬼は特異な造作で中空に仕上げてあるので見ごたえがある。角は三本角で一本の物もある
南北朝時代(1378年)
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室町時代(1498年) - 岡山県牛窓町 本蓮寺(本堂二の隅鬼)現物は重要文化財
全く牛の角をつけている。室町時代に入ると鬼はそのすべてと言える程角を生やした面相になる。
輪郭も室町初期の作風をよくあらわしている。
室町時代(1498年)
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推定 室町時代(1537年) - 兵庫県五色町 河上神社(拝殿二の隅鬼)
鬼瓦には年号はないが大工天王寺淡刀小野ミツヒロと鳥禽に銘がある為、同年大阪の瓦屋で造ったと考える、同時代での傑作に入る
推定 室町時代(1537年)
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推定 室町時代(1537年) - 兵庫県五色町 河上神社(拝殿隅鬼)
頭に輪法を付け大きな口、しかも鼻を広げて下顎の大きさを表現しようとしている。室町の初めから頭に仏具を付けることwをするが、」これは鬼に佛の強さを強調して付けるもの。
推定 室町時代(1537年)
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室町時代(1543年) - 京都市教王護国寺(東寺)
倶利伽羅といって龍が剣に巻きついて先を口にしている型で細かい細工が施されている。後に東南隅に火防の護に龍を飾るようになる。
室町時代(1543年)
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室町時代(1583年) - 広島県新市町 素盞鳴神社(拝殿大棟鬼)
日月を頭飾に置き輪郭は地方色を上手に出している。年号が記銘されており顔面がぐっと前に出て下を向く相である
室町時代(1583年)
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